榊󠄀山裕子の仕事より
展覧会評
遠近法の夢 石塚公昭「夜の夢こそまこと展」から
10/29 - 11/10 1997 Gallery éf(東京・浅草)
文・(筆名)本多裕子
『DOLL FORUM JAPAN』第16号
DOLL FORUM JAPAN事務局 1998年3月
これまで主にジャズマンの人形を作ってきた石塚公昭が、今回は、澁澤龍彦、稲垣足穂、泉鏡花、江戸川乱歩、永井荷風、谷崎潤一郎ら六人の文士の人形と、その人形を撮った写真とを展観した。
今回の石塚ワールドの立役者は、人形そのものよりも人形を撮った写真である。
谷崎の人形の傍らに本物の裸婦を配し、鏡花のイメージに合う滝を求めて多摩の山奥まで分け入ることも厭わない彼の写真は、自分の好みに断固として忠実であるという意味において趣味的である。彼はひたすらやりたいようにやる。そのことによってこの趣味としての写真は、装置としての写真のある本質と出会ってしまうことになる。
例えば写真の中で乱歩人形は怪人ニ十面相と化し、ピストルを持ち、追か上空のアドパルーンから吊り下げられた縄梯子に手をかけ、風にネクタイをなびかせている。しかしこの違近感は贋物(フェイク)である。写真に撮った時の遮近感を想定して、人形は大きくアドバルーンは極めて小さく作られている。それ故遥か上空に小さく見えるアドパルーンと乱歩人形との距離は実際には僅かである。ピストルを握りしめた手前の左手と縄梯子を掴む背後の右手の大きさもかなり異なっているはずだ。これは写真のためにわざわざ作られた人形であり、実際に展示されている乱歩人形はそれとは別物である。
写真は平面に立体感を生み出す「遠近法」という魔法の装置の双子の兄弟である。荒俣宏は遠近法をあえて「遠近術」と名付けた。何故ならそれは一種のトリックであり詐術だからだ。ルネッサンス期に科学としての違近法が確立してしばらく後、絵画はマニエリスムの時代を迎え、その頃、遠近法の詐術的個面をクローズアップした作品が数多く作られた。違滞龍彦も愛好したこの時期の作品と共通する精神が、石塚ワールドにも違い遺伝子のように突然変異的に表出している、と考えてみるのも一興だ。
一方同時代性という観点から見れば、ローリー・シモンズやべルナール・フォーコンのように人形を写真に取り込み、ファプリケーテッド・フォトグラフィあるいはコンストラクテッド・フォトとして注目されたアートの一傾向と関連づけてみるのが面白かろう。七O年代後半からドール・ハウスとミニチュア人形を写真に撮り始めたシモンズは、ドールを写真のなかに封じ込めることで得られる奇妙なリアルさとフェイクな感触で、現実と非現実の境界の暖味さをシニカルに問いかけた。
人形作家である石塚の場合、彼が苦慮したことの一つに人形の完成度をどの程度にとどめるか、ということがあったと思われる。写真化することを想定して作られる人形は、舞台で用いられる人形(パペット)がそうであるように、それ自体で表現として完結している創作人形とは別のコンセプトが要求される。何故なら人形そのものが表現として完結していたら、新たに加えられる「写真」としての表現は余分なものになってしまうからだ。その意味で人形作家である彼が、写真に撮ることを前提とした人形作りに取り組み、実際に写真の中でのみリアリティを発揮する先述の乱歩人形のような人形を創ったことはユニークな試みとして評価されよう。
この乱歩人形を展示するとしたら、大きな箱のなかに入れて一点の穴からそれを眺めるという展示方法が考えられると彼は楽しげに語ってくれたが、一点の穴を通って暗箱の中に侵入してくる現実空間のイメージを二次元空間に写し取る写真とは逆に、現実まがいの遠近法的空間のイメージを暗箱の中に現出させ、一点の穴からそれを覗くという奇抜な発想も「下町派」の彼の場合、のぞきからくりやびっくり箱で人を驚かせかつ愉しませ、自分自身も無類の嬉しさを覚える少年的な嗜好に由来しており、見る者の現実感そのものを揺さぶろうとするようなシニカルな問いかけはそこにはない。趣味的であることによって得られるエンターテイメント性、それこそが彼の作品の持ち味なのである。