榊󠄀山裕子の仕事より
展覧会評
「合田佐和子 影像―絵画・オブジェ・写真」展
10/14-11/24 2003 渋谷区立松濤美術館(東京・渋谷)
文・榊󠄀山裕子
『DOLL FORUM JAPAN』第39号
DOLL FORUM JAPAN事務局 2003年12月
合田佐和子の最初期から現在に至る作品約一八〇点を展示した初の回顧展が、東京・渋谷区の松濤美術館で開催された。絵画、イラストレーション、写真、オプジェと多岐にわたる表現で知られる合田の最初期の作品は、毛系、ビーズ、針金、ガラス、鉄など様々な素材を用いて作られた一群の「オブジェ人形」であった。一九七〇年代から絵画を描き始めるが、それは「写真」を絵画に移し替えるという手法でなされた。同時期から「写真」作品の制作も始まり、手法は違っても、そこには常に「光と影」、そして「目」というテーマがあった。小品だが八一年に撮られたポラロイド写真による作品群が強く印象に残る。技写体は人物だが、皆、目を閉じている。その閉じられた瞼の上に手描きで目が描きこまれている。描き込まれた目が鑑賞者を見ている。被写体自身は本来の人格を失い、まさに「オプジェ人形」としてそこにある。
その後八五年のエジプト滞在体験ののち「物には全て目がある」ことを感じた彼女は、沢山の目のあるオブジェによる「眼玉のハーレム」を制作。更にオートマティズム(自動筆記)によるデッサン作品を次々と描き連ねたのち、精神の危機によって数ヶ月入院することになるのだが、その後も、目そのもの、あるいは眼差しを思わせる光の煌めきを、以前にも増して直裁に作品に導入していく。その煌めきとの陶酔のひとときを再現しようとするかのように。
精神分析によれば、人間は本来受動的存在であり、見られることが見ることに先行するという。だからこそ、鋭敏な感性が狂気の発症時においてものの「眼差し」を一身に感じ取るのだとするならば、合田はそうした根源的な体験に自らを晒していたのだろう。
今回、一堂に会した作品を見て、彼女の精神とその創作の秘密に興味を惹かれると同時に、近年の女性の映像作家の台頭やアートにおける人形的なものの復権における先駆的な彼女の位置についても考えさせられた。今回の回顧展をきっかけに合田の作品が更に多くの人の注目を集めればと思う。

