榊山裕子の仕事より
ハンス・ベルメール論
hito-gata scene
ハンス・ベルメール展
「欲望の解剖学」から
文・榊山裕子
『人形ノート』第1号
DOLL FORUM JAPAN事務局 2006年9月
「デッサン家」としてのベルメール
パリのポンピドゥーセンターで今年3月1日から5月22日までハンス・ベルメールの回顧展「欲望の解剖学」展が開催された。この地での大規模なベルメール展といえば、ベルメールの最愛の恋人ウニカ・チュルンの自死の一年後、1971年にポンピドゥーセンターの前身である国立近代美術館で開かれた回顧展がまず思い浮かぶ。次いで1983年12月「ハンス・ベルメール写真展」がポンピドゥーセンターの写真部門学芸員のアラン・サヤグの企画により開催されたことが挙げられようか。この時の展覧会の図録は日本では澁澤龍彦の序文を得て『ハンス・ベルメール写真集』として刊行されている。
この写真展が、数多くの未公開写真が公表され「写真家」ベルメールを印象づけた展覧会であったとすれば、今回の展覧会はこれまで未出のデッサンが数多く公開されたという点で画期的であったとまずはいえようし、実際に今回の展覧会の狙いはそのあたりにあったようだ。今回の展覧会はグラフィック部門の主任学芸員アニエス・ド・ラ・ボーメルの監修によるもので、「デッサン家」としてのベルメールが前面に押し出されている。筆者も実際におびただしい作品をまのあたりにして、ベルメールのデッサン家としての筆力にあらためて感銘を受けたし、コンパクトながら詳細なカタログはポンピドゥーセンターならではの充実ぶりを見せていた。年代順に配置されたおびただしいデッサンは、立体作品との照合関係やイマージュの変遷を迫っていくうえで大変参考になったし、会場にはベルメールの「お気に入り」の小物をコレクションした木や絵はがきのコレクションなども展示され、1972年と73年に製作されべルメール自身の姿を垣間見ることもできるビデオも会場の片隅で上映され、ベルメール・ファン、べルメールに興味を持つ人にとっては必見の展覧会であったといえよう。
「写真家」ベルメールの影響力
とはいえ今後のベルメール評価への影響力はといえば、おそらく83年の写真展には及ばないのではなかろうか。それは当時、写真家としてべルメールを捉え直すことがその後のべルメール評価を大きく変えたのに比べて、デッサン家としてのべルメール評価にはそこまでのインパクトはなかろうと思われるからである。
ベルメールという作家はそのテーマにおいて異端の作家であったばかりでなく、その手法においてもマイナーな作家であった。西洋のアートが油彩画、彫刻を中心としていた時代において、デッサン、写真、そして人形を用いた作品がメインストリームに立ち得るはずもなかった。しかし1980年前後、時代は大きく変わりつつあった。ペルメールの写真作品への注目は、シュルレアリスム研究において写真がクローズアップされてきたこと、また現代美術における写真の地位が大きく変わってきたことと無縁ではなかった。たとえばシンディ・シャーマンが「アンタイトルド・フィルム・スティル」シリーズを製作しはじめたのは1977年、日本で森村泰昌が自画像と名画をドッキングさせた自画像写真を発表したのが1985年、写真や映像は現代アートの周縁から中心へと移行しつつあった。そうした地殻変動のおかげで、ベルメールの写真に対してもそれまでにはなかったスポットライトが当てられるようになった。
1985年〜1986年に開催された「シュルレアリスムと写真」展(註1)でもベルメールの写真は大きく取り上げられていた。企画はロザリンド・クラウスらによってなされ、この中でクラウスはベルメールをシュルレアリスムの重要な写真家として捉えた。そしてクラウス、ハル・フォスターら「オクトーパー」派の論客たちに取り上げられたことが、今日のべルメール再評価に繋がっていったことは、すでに当誌連載の「ベルメールから」(46号で連載終了)で何度か指摘したことである。
一方デッサン作品は、参考資料としては大変興味深いし、エロティックな作品を愛好するというマニアックな意図にはよく適合する。しばしば誤解されることだが、「欲望の解削学」とは「対象」である女性身体の解剖学などではない。そこで明らかになるのは「対象」ではなく、そうした対象を欲望し、それを様々に変容させる主体の側の解剖学なのである。
今回公開されたおびただしいデッサン群は、ベルメール自身の、あるいは男性のフェティッシュな「欲望」の「解剖学」の材料としては、かつてない充実ぶりを示している。球体への固執、脚、乳房、眼など細部へのこだわり、繰り返される同じテーマとそのヴァリエーション、膣から飛び出す男根、眼と膣のアナロジー、それらはベルメールという一つの「症状」を検討するうえで尽きせぬ興味を与えてくれる。しかし作品の完成度としては写真作品の斬新さには及ばないように筆者には思える。
ベルメールと
日本人女性の自己表現
ところで今回もあらためて感じさせられたのは、ベルメールを巡る日本と欧米での評価の違いである。日本ではペルメールの名は澁澤龍彦の唱えた「人形愛」にこの数十年間強く拘東され、「人形」としてそれを見る見方が定着しているが、今回の展覧会にはベルメールの「人形」を文字通りの人形として捉える視点は、相変わらず見当たらなかった。
ベルメールの「人形」は日本の創作人形、とりわけ「球体関節人形」と呼ばれる一連の作品に強力な影響を与えてきた。その影響関係はすでにフランスでも知る人ぞ知るところになっている。たとえば二年ほど前にパリのアル・サン・ピエール美術館において「人形」展が関催され、ハンス・ベルメールの人形写真とともに、四谷シモンやパリ在住の大島和代らの人形が展観され、「人形」としてベルメールの人形写真を見るという見方がそこでは採用されていたが、それはアウトサイダー・アートを扱うこの美術館独自の視点であり、一般的にはベルメールの「人形」は、身体性の問題ヘシフトして語られることはあっても、「人形」それ自体として語られることはほとんどないというのが欧米での評価の実情である。
それにしてもべルメールの作品と日本の球体関節人形との関係で筆者が興味深く思うのは、球体関節人形はこの国では主に女性たちによって作られ、女性たちによって愛好されているという事実である。確かにベルメールの少女人形を称揚する男性はことのほか多く、そうした発言も主に男性によってなされてきた。しかしそうした現象は、ベルメールの人形が男性的な欲望としてのフェティッシュの直裁な表現としてあることと、倒錯的な表現や未成年者を対象とした表現に対する規制の少ない日本の特殊事情とを合わせ考えるならば、ただちに了解できるところである。むしろなぜ女性たちが、女性身体を致損したり、組み替え可能な機械の部品のように扱うベルメールの作品や球体関節人形に惹かれるのかが気にかかる。
ベルメールの作品は、欧米では女性身体への暴力的表現としてフェミニズム的な観点から幾度となく批判されてきた。しかしこの国にはそうした視点からの批判が欠落している。女性たちもそのようにベルメールの作品を観てはいないようだ。しかしそれはこの国の女性たちがことさらマゾヒスティックであるとか、欧米に比べて女性の権利に対する意識が遅れている、というような単純な話ではないようだ。主に女性たちによって作られる球体関節人形はフィギュアほどの大きな市場ではないものの、独自の市場と文化を形成している。それは「少女漫画」がそうであるように独自の自己表現ではあるのだ。それはいわば一種の「保護地域」として女性たちの想像力を自由に発露させる場になっている。それがこうした表現の限界でもあり可能性でもあるようだ。筆者にとってはその点が興味深く、近く出版予定の 『ベルメールから」(仮題)では、その点についても探求してみたいと考えている。
Hans Bellmer
Anatomie du désir展
[パリ] Centre Pompidou
Galerie d’art graphique-Galerie dumusée
2006年3月1日~5月22日
[ミュンヘン]
Staatliche Graphische Sammlung
2006年6月21日~8月20日
[ロンドン)
Whitechapel Art Gallery
2006年9月18日~11月19日